論理的思考力はなぜ必要か

論理的思考力はなぜ必要 ?

こんばんは。passoです。

今回もおいでいただき、ありがとうございます。今日はこれについて述べたいと思います。

前回、私は自立力を磨くことは主体性と対話力を磨くことであり、その基盤となるのは”論理的思考力”であるとお話ししました。

 

ではなぜ、論理的思考力が基盤になるのでしょうか?

これは直感的にわかるかもしれませんが、今回はこれについて書いていきたいと思います。

まず、主体性は”自分の意志・判断で行動しようとする態度”であると、Web上では説明されています。

自分の意思・判断で行動するためには、まずそれに先立つ意思がないといけません。意思というのは自分なりの考えであり、それを持つ過程で必ず論理的思考を伴います。自分の~したい、~すべき、~したらよいなどの考えには理性的なものであろうと、感情的なものであろうと、それらを実行した先に期待する未来があり、理由があるのです。それを吟味、判断して行動を起こすわけです。

例えば、思考が理性的である例をを示すならば、

机の上にコップが置いてあるとします。あなたはこのコップにお茶を注いでいきます。お茶を注ぐにつれ、だんだんとお茶の液面が上昇していきます。そこで、あなたはコップの縁を液面が超えない程度でお茶を注ぐのをやめたとします。

この一連の流れは考えているという認識はないかもしれませんが、無意識のうちに、お茶の液面がコップの縁を超えると、お茶がこぼれるという道理に従い、このまま注ぎ続けた場合に推測される結果に従って、判断したから注ぐのをやめているわけです。

また、同様の状況で思考が感情的である例を示すならば、

コップにお茶を注いでいき、液面が上昇する、つまりコップの中のお茶の量が増えていきますが、自分の飲みたい量にお茶が達したので、お茶を注ぐのをやめたとします。

この場合、お茶がこぼれるという道理から、それを避けるために注ぐのをやめたわけではなく、お茶の量が十分だと感情的な基準に従って、判断したから注ぐのをやめているわけです。

細かく言えば最初の例もお茶をこぼしたくないという感情が入っていますが、自分の意思・判断で行動を起こそうとするときは必ず、誰でも自然に論理的思考を行っているということが言いたいのです。

さらに主体性とは”常に主体的であるような性質”のようであり、性格のカテゴリーに分類しても不自然ではないものだと思います。であれば、主体的であれと諭すことは性格を変えようとしているようなもので非常に困難な話になります。

無意識のうちに主体的でなければ、主体性があるとは言えません。そうあるためには、毎日、無意識のうちに行っている歯磨きなどの行動のように、常に自分の意思・判断で物事を行うということを毎日繰り返すことが重要です。

この反復の結果、主体性がある状態にまで落とし込めるのだと思います。ですから、子供に自分で判断させるという機会を存分に与え、それが子供にとって”普通”という状況に親は導いてあげるべきだと思います。

また、対話力に関してもですが、対話というのは、相手の考えを理解し、自分の考えを整理して、発信しなければならないものです。ここまで話しを理解されたあなたには説明は不要だとは思いますが、相手の考えを理解するというのはその論理を評価し、自分の考えの論理を示すことでなされるので、必ずそこに論理的思考が介在することになります。

以上のように、主体性に関しても対話力に関しても”論理的思考力”が基盤となるのです。

 

そして幼少期から家庭で、この

論理的思考力

 

を磨くことが重要だということが述べたいのです。

 

ではこの論理的思考力をどう育むべばよいのか?

これについて、次回は書きたいと思います。

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。では、また。

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