論理的思考力を育むためには

 

こんばんは。

ご覧になってくださってありがとうございます。passoです。

前回は”論理的思考力”が主体性、対話力の基盤になり、幼少期から育むべき能力の一つであることを述べました。

私はこの論理的思考力を育むことが、将来子供に有益な財産を残すことと同意だと思っています。

 では、論理的思考とはなんでしょうか?

 

論理的思考とは読んで字のごとく、論理的に考えることをいいますが、論理とは例えば・・・

(A)2人の男女の間に一番最初に生まれた子であれば、(B)その子は長男である

というように、Aであれば、Bというように、2つの文(AおよびB)の意味を認識し、その関係性(ここではA=B)を文脈で示す際の理(ことわり)と言えます。

つまり論理的に考える行為は、まずAという内容を認識する必要があり、そしてAという内容とBという内容が文脈の示す関係性となっているかを考える行為なわけです。

ここで、まず重要なことがAという内容を正しく認識できているということです。この前提があって初めて論理的に考えることが意味を持ちます。どういうことかというと、もしAの認識が間違っていれば・・・

 1)構築した論理が成り立たない

 2)論理が正しくても、出発点(A)が正しくなければ、間違った考えとなる

可能性があるからです。

すでにお気づきだと思いますが、前述した例文はAであれば、Bという関係性を論じているわけですが、論理が成り立っていません。論理が成り立つためにはAが2人の男女の間に一番最初に生まれた”男の子”である必要があります。このように、Aの語句が示す内容を正確に認識していないと、文章に表したときに論理が成り立たなくなる場合があるということです。

また論理的思考とは往々にして、考えをまとめるために行うものですが、論理が正しい、つまり、AとBの関係性は理にかなっていたとしても、そもそもA自体の認識が間違っていれば、その考え、言い換えれば、結論が間違ったものになると言えます。例えば、2人の男女の間に一番最初に生まれた”男の子”であれば、その子は長男であるという文章は論理が成立していますが、そもそもその男の子が2人の男女の間に一番最初に生まれた子であるという事実がなければ、文章が示す結論は間違っているのです。これはアルベルト・オリヴェリオさん著の「論理的思考の技術」にも論理の罠として、そういう記述があります。(私の”認識”が間違っていなければの話ですが・・・笑)

まとめると・・・

 1)あることを表現するための語句(A,B)の意味自体に誤認がない   (子≠男の子)

 2)あることを表現するための前提(Aならば)が示す事実自体に誤認がない(第一男子であると

   いう事実が確かに存在すること)

この2点が、論理的思考をするにあたって、まず重要になります。つまり論理的思考の前提要素は

”認識力”

であるということが言えます。

もちろん、これが論理的思考の全てではありませんが、少なくとも基盤となる能力だと私は考えています。

ではこの認識力をどうやって育まれるのか?

これについて、次回書きたいと思います。それでは、また。

 

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